2013年11月14日
方違神社
社伝によると、人皇10代崇神天皇5年、
国内に疫病が流行し多くの民が死亡したのを憂いた天皇は
、同8年12月(紀元前90年)勅願により
物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を
茅渟の石津原(当地)に遣わせ、須佐之男神を祀らせ給うた。
すると疫病は途絶え五穀は豊穣となったといい、
これが方違神社創祀の起源とされる。
南側の鳥居。左の建物は社務所。
本殿です。
神楽殿はRC造。
神楽殿の裏から見た神殿が…
社務所の石積みが素敵です。
方違神社
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Posted by たかお at 07:07│Comments(0)
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